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結婚式における雑学・豆知識

結婚式

結婚指輪・婚約指輪の起源

結婚指輪や婚約指輪の起源は2000年以上前のローマといわれており、当時は婚約指輪として鉄のバンドを贈っていたそうです。9世紀になると教皇ニコラス一世によって婚約発表には指輪が必要ということを公表したことで、婚約指輪を婚約者に贈る習慣が始まったとされています。さらにキリスト教普及とともに、教会で結婚の儀式が行われるようになりました。そこで、花婿には鉄の指輪、花嫁には金の指輪を交換する風習が始まります。これが指輪交換の定着につながったのです。
指輪は切れ目のない円形のため、永遠を象徴するものとしていました。こうして世界で結婚指輪を贈りあう慣習が一般的となります。
日本では明治時代に伝わったとされており、結婚指輪の慣習が定着したのは大正時代になってからでした。一方、婚約指輪が日本に伝わった背景にはダイヤモンドが大きくかかわっています。ダイヤモンドは明治時代、大正時代には、宝石の加工技術が上がり、宝飾店の人気をきっかけに一般的にも知られることになります。しかし、昭和36年まで制限によって輸入できない状態でした。昭和41年に戦争が終わり、ダイヤモンドの輸入が解禁されます。国内でダイヤモンドが出回ることになり、日本でもダイヤモンドを装飾として用いる婚約指輪も一般的に知られることになったのです。

結婚指輪はどうして左手の薬指なの?

結婚指輪を左手薬指につけるようになったのは古代ギリシャまでさかのぼります。一説によると古代ギリシャでは女性の左手の薬指と心臓は1本の血管でつながっていると考えられていました。そこから一番命に近い指、愛の血管が心臓に直接つながっているという意味で、左手の薬指に永遠の象徴である結婚指輪をつけるようになったそうです。
日本では欧米式のウェディングスタイルが普及していることもあり、結婚指輪=左手薬指という認識が定着していますが、海外では必ずしもそうではありません。
例えば同じ欧米でもドイツやオーストリアなど東欧、北欧の国々では、右手薬指に結婚指輪を着ける習慣があります。
また、キリスト教でもプロテスタントの場合、右手薬指に結婚指輪をします。これはキリスト教において右手薬指が正義の象徴だからという説も。右手薬指に結婚指輪をはめることで、相手を一生愛し続けるという誓いを立てているというわけです。

6月に結婚式をすると幸せになる?

6月に結婚式を挙げることをジューンブライドといわれ、幸せになるという言い伝えがいくつか存在します。
一つは結婚・出産・育児の象徴であるローマ神話の女神Juno(ユーノー)が由来という説です。
英語で6月はJuneですが、このJuneはJunoが由来で、このことから結婚の女神であるJunoの加護があるため、6月に結婚式を挙げると幸せになるという考えが生まれたとされています。
もう一つはヨーロッパでは6月が結婚式に最適な季節だからという説があります。
ヨーロッパの6月は乾季に入る国が多く、特に地中海地方の6月は雨が少ないといわれています。長く厳しい冬が明けて気候や温度が安定することからヨーロッパ全体が開放的なムードになるそうです。
天候・気候ともに最適で、開放的なムードになって多くの人に祝福されることから、6月に結婚式を挙げると幸せになるという説が生まれたとされています。
また、ヨーロッパでは7月のバランスを大事にするため、バカンス直前の6月に行う結婚式がゲストにとっても都合がよいため、結婚式のベストシーズンと考えられています。
最後に昔のヨーロッパでは3~5月が農繫期であったため、結婚式が禁止だったそうです。そのため、結婚式が解禁される6月に挙式が集中したといわれています。その結果、1年で6月が最も結婚式が多いため、ジューンブライドの伝承が生まれたという説があるそうです。しかし、この説は時代背景が不明で、本当に3~5月の結婚式が禁止だったのかもはっきりしていません。

日本では6月は梅雨によって降雨や多湿であるため、結婚式には不向きな季節です。そこで日本のブライダル業界やホテル業界がこのイメージを変えるため、1960年代後半からアピールを始めました。アピール当初は式場の空調設備が整っていなかったため効果はあまりなかったそうです。しかし、空調設備が整い、屋内の演出も充実してきたことから世の中に浸透してきました。
現代でも結婚式が集中するのは9月から11月にかけて多いようですが、4~5月の挙式数は6月の挙式数とさほど変わらないということからジューンブライドで挙式を挙げたいと望む人が増えているといえるでしょう。

結婚式に雨が降るのは縁起がいい

結婚式に雨だと、せっかくの記念日なのにと思うかもしれませんが、海外では縁起がいいものとされています。
フランスの言い伝えでは、雨の結婚式は新郎新婦が流す一生分の涙を神様が流してくれるといわれているそうです。雨と一緒に天使が舞い降りてくる、雨は神様からの祝福などの言い伝えがあり、雨の日に結婚式を挙げた新郎新婦は幸せに過ごすことができるそうです。
イタリアにも「濡れた花嫁は幸せな花嫁」という雨の結婚式にまつわる言葉があります。雨は農作物の栽培に必要不可欠なものです。雨が降ると土壌が良くなり繁栄するということから、雨は縁起がいいとされています。
そもそも、演出として人気の高いフラワーシャワーやライスシャワーなど神様からの贈り物として雨を模したものといわれています。雨は神様からの贈り物として捉えることで、憂うつな雨も印象が変わってくるのではないでしょうか。

ウェディングケーキは偽物?

結婚式で使われるウェディングケーキは新郎新婦はじめての共同作業(ケーキ入刀)をして、ケーキを食べさせあうファーストバイトをします。その後、デザートとしてゲストに振舞うという流れです。この演出で使われるウェディングケーキのほとんどが偽物です。結婚式で使われるウェディングケーキはイルミネーションケーキと呼ばれほとんどが発泡スチロールの土台の上に生クリームを塗って仕上げています。本物のケーキで作ろうとすると重みで沈んでしまうためです。
ケーキ入刀やファーストバイトで使う部分だけを本物のケーキとなっており、ゲストに振舞うのは別のケーキであることがほとんど。長時間、披露宴会場に設置されているウェディングケーキは衛生面を考えるとそうなりますよね。

3段重ねのウェディングケーキの一番上は1年後に夫婦で食べる

ウェディングケーキは3段重ねが一般的ですが、それぞれの段に意味があります。一番下の段は結婚式に参加した皆で食べます。真ん中の段は結婚式に参加できなかった友人に、幸せを分かち合うために配るものです。
そして、一番上は1年後の結婚記念日に、夫婦のきずなを確かめ合うために夫婦で食べます。これはイギリスの習慣で、イギリスのウェディングケーキはシュガーケーキといって砂糖、ゼラチン、水あめを使ったシュガーペーストをフルーツケーキにかぶせて作られたケーキが主流でした。このシュガーケーキは適切に保存していれば100年は保存シュガーケーキイギリスでは今でも上段は1年後の結婚記念日や最初の子供が生まれた日に食べるという風習が残っているそうです。

ウェディングドレスが白の理由

ウェディングドレスの起源はローマ帝国の時代といわれています。キリスト教の普及によって教会で結婚式が行われるようになり、その際、王族や貴族の花嫁が着ていた衣装がウェディングドレスの始まりとされています。当時は赤や青、緑が主流で、素材は絹やベルベット地に刺繡を施したものもが多かったそうで、現在のウェディングドレスとはまったく違ったものです。というのも、当時の婚礼衣装は花嫁の実家の地位や財産を示すもので、豪華に着飾ることが主流でした。
その後、一般庶民にも浸透すると黒をはじめとするダークカラーが好まれます。一般庶民が着やすい色見で、結婚式以外の祝祭日でも着ることができるためです。
現在、主流となる白のウェディングドレスが誕生したのは17世紀末といわれ、一般に普及したのは18世紀後半。これはイギリスのヴィクトリア女王の結婚がきっかけです。白いシルクのドレスに白いレースのベール、頭にはオレンジ色の花が飾られていたそうです。白は純潔、純真、無垢といった意味合いがあり、支持を得やすいものだったようです。瞬く間にウワサの的となり、ヨーロッパに広まりました。そして、他国の身分の高い指導者層も、真似るようになります。
日本にウェディングドレスを着た結婚式が1873年に長崎で行われたといわれています。当時、西洋式の結婚式はごく一部の人しかできなかったもので、普及することはありませんでした。
日本でウェディングドレスが流行するきっかけになったのが昭和34年に一般家庭から皇室へ嫁いだことから注目を集めた現上皇后陛下の美智子様と当時皇太子だった現上皇の明仁様の結婚式です。世紀のご成婚ともいわれ、ローブ・デコルテにロンググローブ、ティアラといった婚礼衣装には多くの女性があこがれました。
1960年後半頃から一般層にもウェディングドレスが普及。多数のウェディングドレスメーカーが登場します。

白無垢は神に仕える儀式の服だった

日本の花嫁衣装として白無垢が挙げられます。日本では結婚式に白い衣装を着る習慣が平安時代からありました。ただし、白い衣装は上級階級に限られていたようです。
日本では結婚式は神に仕える儀式だったという説があり、白無垢は神事のときに着る斎服の流れを汲んだものといわれています。花嫁は白い衣装を着て神に仕え、お色直しで色物の着物を着ることで、人間の世界に戻ってきたことを意味するのだとか。また、白い衣装は葬儀のときに着るものでもあったことから、結婚相手と最後まで添え遂げるという覚悟を表明したものでもありました。